pen

努力と結果

 

結果が全て。

 

きちんと過程も評価して配慮はするけど、結局は結果が全てであると私の中でこの価値観は揺るがない。出来なければ終わりである。だからそのために死ぬほど努力して、人様の前に出せるようなものをつくる、と決めている。出来るようになるまで努力して、それでも間に合わなかったときはまだまだ努力が足りなかったな、と思う。でも、結構ここまで頑張ったよな、と褒めるし認めるので悪くはないと思う。

 

出来るまでやる。これが当たり前なので、出来ていない=やっていない、という図式が出来上がる。

 

私に何か言うなら私と同じだけの覚悟と努力をしてから、私と同じ土俵に立って欲しいと傲慢だが思う。もちろん、逆もしかりである。私よりも努力している人に対して、でも、なんて言えない。おこがましすぎる。

 

たぶん、この考え方は歪んでいるんだろうな、と思うが私は然るべき努力をせずに、できませんなんて言う人間が死ぬほど嫌いなので残念ながらこれはもう変わらない。

 

そしてこれに当てはめて考えると私はまだ全然努力ができていない。まだ後歌が完璧に歌えないし、前歌も弾く手と一緒に出来ない部分が一部分ある。

 

自分でも頑張っているな、とは思う。でもそれは頑張っているだけだ、結果がついてきていないならそれはほとんど意味がない。努力している、というのは、暇さえあれば音源を聞き込んで歌をしっかり頭に入れ、暇な時間は歌えるように弾く練習をする、ということだ。今の自分は通学途中の電車で音源を聞いていないし、歌だって完璧に自分を追い詰めて弾きながら歌っていない。しんどすぎてもうやめたいと思いながら後歌を弾きながら練習して前より歌えるようにしたけれど、全て出来ないのならそれは完璧に努力した、とは言えないのだ、私の中では。

 

頑張っている、と、努力、のレベルは圧倒的に違う。

同じ意味だけれど私の中では大きく違う。雰囲気や言い方の問題ではあるが、本気でやろうとしていることは目標としている努力の大きさが圧倒的に違う。

 

生きづらいな、と思う。でも他人に迷惑をかけたくないし、自分が曲にかけている重さに対して妥当であるし、恥を晒したくないし、責任逃れをしたくないのである。

 

圧倒的に言葉が足りないし、語弊もあるかもしれないが、これ以上に言葉が見つからないし、丁寧に説明する理由もないのでこの話は終わっておく。ただ、言いたかっただけ。

 

とりあえず、通学中にひたすら音源を聞いて歌をきっちり頭の中に叩き込む。なんとかする。正直言って、泣き出したいぐらいには追い詰められている。助けて欲しいなんて思うけど、誰も助けてはくれないので自分でなんとかするしかない。味方は自分しかいない。自分のために、私は悪くないと言うために、頑張る。いつもいつも、本番自分の声が出なかったらどうしようと不安になるし、楽器の音に負けないように声を張り上げているから美しい声ではないし、途中どうしても喉が痛く限界を迎え、声を伸ばしている途中で咳き込んだりぶつ切れになってしまう。ひたすらにつらい。もうどうしたらいいかわからない。私が弾かずに歌えばいいのか。一度怒ってしまったからには、もう物申すことはできない。言えばいいんだろうけども、でも、これでも頑張っているとか言われたら終わりだ、声質の問題、私の声は大きいから、もうなんでも好きに言えばいい。一緒に頑張ろうね、なんて言える時期はもう過ぎた。勝手にしてくれればいい。私だけでは歌を完成させて、お稽古に通って、完璧にこなせさえすればいい。もうそれでいい。ちゃんと自分の中で努力した、と言えるようになったら自分を褒めて許したい。