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おめでとう

あけましておめでとう、生きています。

あの頃は死なないために書き続けていた。必死に思考を文字に整理して吐き出していく作業をこなさなければ、生きていけなかった。

2年ほど経ったのかな、あれからいろんなことがあった。半年間カウンセリングに通って普通の人間になれた気がした。怖くて怖くて向き合いたくなかったけど親と対話して誤解を解いたり和解のようなことをした。カウンセラーに親から過去にされたことを喋るたびに涙が止まらなくて自分が壊れたのかと思った。自分が泣く時はとてもとても悔しい時だけで、悲しくて泣くことは自分に許していなかったから。泣けば怒られる。泣く子は嫌いだと言われ、泣き声をあげればもっと怒られ叩かれた。それから声を上げずに涙を流す方法を身につけたし、最低限の涙にとどめることも覚えた。なのに、自分がされた過去に向き合うたびに痛くてどうしようもなくつらくて泣いて上手く話せなかった。今まで親にされてきたことはTwitterで幾度となくつぶやいてきたはずだった。でも、目の前の人に、しかも自分の肉声で、それを伝えるのは信じられないくらいつらくて惨めで苦しくて。

カウンセラーからは、今はあなたの荷物をひとつひとつおろしているんです。その荷物は置いて行ってもいいんですよ。そう言われた。カウンセリングの部屋では、クッションを太ももの上に乗せて、マスクの内へ流れていく涙をティッシュで拭い、テーブルの端にあるちいさなサボテンをいつも見つめていた。いつもは人の目をしっかり見て話す私だが、自分の過去を話す時だけは、テーブルの端を見なければ上手く話せなかった。

でも半年間のカウンセリングのおかげで、少しずつ少しずつ、親に対して何が嫌だったかを話すことが言えるようになってきた。カウンセラーに泣きながら話したおかげで、少しだけ落ち着いて話すことができた。もちろん途中で気持ちが溢れて大泣きしながら、ちがうちがうなんにもわかってくれてないあの時私と対話なんかしようとしてくれなかったじゃないか私の話なんかちっとも聞いてくれなかったと、絶望に打ちのめされたことは何度もあった。それでも、私は諦めなかったし、幸い親も聞く耳を持ってくれてめんどくさいなどと一蹴せず対話してくれた。そのおかげで、大学4回生は修復の年で、準備ができた。

きっと高校生の頃の私が今の私を知ったら猛烈に怒るだろう。毎日毎日家に帰るのが憂鬱で、下校のたびに吐き気に襲われて、大音量でEDMを聴いていれば少しだけ苦痛が麻痺するからイヤホンが手放せなかったあの高校生活。なぜ和解なんか、はやく殺して私も死ぬべきだ。カッカっと熱くて泥みたいに粘度のあるどろどろの感情が胸の中を渦巻いて、はやく救われたい、はやく刺したい、と泣きそうな、暗い目で道を見つめていたあの日。そうやって寂しいとか本当は親を愛しているという気持ちを隠して自分につけられた傷だけを見ていた。大人になれてよかった。対話することができて良かった。あの頃から自分の中の救われなかった子供が報われて優しくしてもらえた気がする。

2023/01/22 社会人になって10ヶ月程度。寮に住んで、家族とは上手い距離で付き合うことが出来ている。これでよかった。これからも私は家族を愛し続けるし、愛され続ける。家族にあんなことをされたのに?許すのか?と聞かれたら、私だってあんな子供だったのだから。と答えるだろう。時代や環境も加味すればああなるのも仕方なかった、私はそういうことにしている。傷は残っているかもしれないけれど風化するし忘れることは得意だ。それにもう、自分の中で終着点をつけたのだから、許しはいらない。