pen

プロローグにしようと思っていたもの

これは、わたしらしさ。を思い出すための場所である。

気が付けばわたしはずっと書いていた。中学生、ともすれば小学生の頃から。
ちいさなちいさな思ったことを、ノートの片隅に書き留めることから小説を書き始めるのにはそう長くかからなかった。


小学生の頃は本ばかり読むような子だった。図書館に入り浸り、当たり前のように図書委員になり、文字通り本の虫であった。


そして中学生になった。大嫌いな小学校から受験という切符で逃げ切り、それでも逃れられぬ苦痛に耐え忍び、本を読み、思春期特有の煮詰まった閉鎖的な友人関係に搦めとられた。中学生になって良かったことは、中高一貫校のために図書館が大きく
、そして創作をする友人たちに出会えたことだ。今まで本を読むだっただけの世界から、自分が筆を執る、ということを友人たちは教えてくれた。


まず詩から。あの思春期によくある今にもこぼれだしそうな感情を短文にしたためた。
あの頃は今思えばわたしなりに繊細で、とても狭い視点でしか世界を見れなかった。逃げ出せない水槽に入れられているといつも感じていた気がする。けれどその水槽の中で目一杯恋をして、現実のつらさを甘い感情で覆いかぶせていた。

詩の次は、友人が書いている小説を見よう見まねで書いてみた。友人がファンタジーを得意とするのと裏腹に、どうしてもわたしは日常のことしか書けなかった。ありふれたような日常を切り取り、美しい言葉で取り繕い、散文的にぱらぱらと書き散らすだけ。

ストーリーを描くのが、どうしても苦手だった。それでも文芸部に所属していたので、なんとか話の軸を組み上げ、自分の経験と虚構を織り交ぜながら小説を書き上げた。
良くも悪くも評価は、なんだか主人公があなたみたいだね、とのお言葉を頂いた。

それを言うなら君も充分すぎるほどそうだよ、という言葉は相手を傷つけそうだったので飲み込んだ。実際、わたしはその言葉に傷ついていたから。

こうしてずっとひたすらに書き続けた。文章を書くことは水中にいる生き物がたまに水面へ泳ぎ息継ぎをするのと同じようなもので、何かペンを走らせないと、キーボードを叩いていないとわたしは現実世界での息継ぎが出来なかった。


去年の春、大学生になった。いつのまにか書くことを辞めていた。忙しさからか、はたまたこの部活に入り何かを表現する、という点では同じことをしていたから無意識に満足していたのかもしれない。多分どちらもだ。恋をしても、それを美しい文章にすることもなかった。
まぁ大学生になれば美しい片想いではなく結ばれたどろどろの関係だったとも言えるが、それはまた違う機会にでも。

 

ってちゃんと書いてたんですよ~~~死ぬほど頑張って中高時代に書いてた感覚を必死に取り戻すようにできるだけ綺麗な言葉で飾り立ててプロローグみたいなん書いてたのにね~~~気まぐれが祟って、初っ端からわたしらしいと言えばわたしらしい記事でしたけども。

「書く」ということで生きていくほどの才能がないのはわかっていたし、キャッチコピーや広告を作る人間になってみたいという思いもあったけれど、色々あって初めから諦めていました。それでも書いて自分の中のものを外に吐き出さないと生きている気がしない人間にとっては結局辞められなかった、ってだけの話です。

実はこれを書き始めたのは6月14日。なにかを書き残したい、と感じていたのはそれよりもずっと前から。たぶん日付になにも意味はないと思うのだけれど、結局このメモ帳の焼き場ブログを始めたのがまぁ大体8月にはなってしまいましたが、こうやって昇華できることが出来て少しうれしいですね。平沢進フジロックには感謝です…あれのおかげで精神が安定してるし、こう…厨二病っぽい言い方をすると自分の内なる力が蓄えられた結果こうやって抑えきれなくなって文章にすることが出来たので。

自分にとって書いて吐き出す、という一応生産的なことを行っていないとエネルギーの循環が上手くいかないというか…きもちわるいというか…(まぁ精神不安定の方が…いい文章を生み出せる…逆に病んでないと書けない…なんてこともあったり…)

そういう点では、Twitterがものすごくわたしにとっては居心地の良い場所だったんですが、ちょっとうるさすぎたのともっと長い文章を書きたくなったのもあってこういう場を設けました。

まぁ続けるかわかんないけど!昔ほど夢見がちな女の子ではないし、創作意欲なんかもガタ落ちです。中高生の頃のようにペンを握れば文章が思わず流れ出す、というほどでもない。それでも書きたい!と思った時に人の目を気にせずぽんと出せてしまえる場所がすごく欲しかったので。わたしの気が済むまで、続けてみます。またこんど!